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女には言語が通じない [おんな・女・女性・母]

男の話はすぐ終わる
女の話はなぜ長いのか?
長電話は、時には数時間から半日にも及ぶ
話始めたら永遠に終わりそうにない
話があちこちに飛んで収束しない

男に言わせれば
「しょうもない話ばかりしてる」
「何をそんなに話すことがあるのか?」
「結局、何を言いたいのか分からん」
「くだらんことはよく覚えてる」
「話始めたら、いつ終わるか分からん」
「回りくどい言い方ばかりで、早く結論を言え!」
などなど
「女は分からん!」
「理解不能!」
「言い出したら人の言う事は聞かん」
「うるさいから放っておけ」

なぜだろう???

女の話には一つの要(ファルス)がないのだ
話の途中でも平気で全く違う話題へとシフトする
「あ、そうそう・・・」
「ところでね・・・」
「それで思い出したけど・・・」
などと、勝手に新しい話を展開してしまう
まだ先ほどの話の結論がついてないのに
終わらないまま、次の話が接木される

これが
永遠に終わらない、何を言いたいのか不鮮明になるパターンだ
一度、このゲームがスタートすると止められない

なぜ?
それは
≪女は瞬間を生きられる生き物だから、言語がなくても生きていける≫
と言えないだろうか?

その典型の一つは「母になること」
胎内に新しい生命が宿った瞬間から言語がなくても母になる
胎内では意識する、しないに関わらずその成長は進行する
そこには言語を必要としない生命の神秘が展開している世界
あるいは
言語では表現できない何かが展開している世界
もっと言えば、言語外の世界
その瞬間瞬間の世界を生きられる特定の時
母になる女は言語にできない体感、実感の時を生きられる
生命の神秘の世界を味わうことができる

だから声高に叫べるのだ
「言葉じゃない!」
「男には分からん!」
その前に、きっと男は無力だろう

母になることは選択肢の一つ
全ての女が母になる訳ではない
しかし、それを含み持った存在であるがゆえに
収束しない話も許容できるのかもしれない
だから
男からすると、女に言語は通じないと思うのだろう


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女は時として「女の意地」を行使する [おんな・女・女性・母]

女性は男性よりも複雑だと言われる
「男って単純でいいわね」というフレーズを時として聞く
その真偽はともかくとして
女は感情を曲げると意地を張る傾向があるようだ
論理ではなく、「とにかく嫌い!イヤ!」
と言い出したらテコでも曲げない

その女の意地を行使して目的のものを手中にすることもある
例えば
「あなたには出来ないでしょうね」とチクリと刺す
すると、感情的に受け止め「何がなんでもやってやる!!」と意地を出す
「あの子には絶対負けられない」と覚悟すると
どんな手を使ってでも勝とうとする
「あなたは何人産んでも女の子でしょうね」と言われたら
意地でも「男の子」を産む
姑の一言がシャクにさわって、二度と口をきかない
挙句の果ては「私と親のどっちを取るの!」と夫に詰め寄った
自宅が道路より下にあるため、「人に見下げられる、今に見ていろ!」
と、節約と夫をけしかけて高台に屋敷替えをした人もいる
どうしても自分に振り向かせたくて「妊娠」を使った人もいる

あえて「女」とした
男にはない特有の「女の意地」が確かにある


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女性は失うとこを常とする [おんな・女・女性・母]

人は母の子宮から生み出される。
子宮という楽園から追放されるとも言える。
その一方で、母からすれば出産は、胎内で一体だったものを失うことでもある。
自分の一部分を失うことと等価である。

では、その我が子はどのようにして胎内化したのだろうか?
処女膜を喪失することから始まる数々の喪失体験から。
受け入れることはそのまま喪失体験に繋がる。
一般的には、喪失体験をしない限りわが子を宿すことは不可能である。
我が子は受け入れ、失った体験の結果として得たものという言い方もできる。
もちろん、喪失体験=わが子とは限らないが。
体内に宿ったものを重ねる月日と共に動きを感じ、我が子という実感と一体感を深める。
しかし、それも1年とは続かない。
産み出さなければならない。

母となることは、体内にある空洞を一時期満たしてくれたものを喪失することでもある。
それゆえ、一度は失ったものを目にし、産声を聞き、抱きしめて肌に触れ、匂いをかぐ。
自分の命と引き換えるかもしれない可能性を孕んだ中で、痛みを伴って手にしたものを知る。
我が一部であり、自分を必要とする「寄る辺なき存在」
何があっても離したくない、私のものだと思ったとしてもうなずけるだろう。
このようにして、手塩にかけて育てたとしても
やがて言葉を覚え、「イヤ」と言い始める時期が来る。
自分の思うとおりにならない子に喪失感を感じ、次の子どもを妊娠する母もいる。

そして、母よりも遊ぶ友達を優先し、やがて成長と共に母に反抗する。
反発と反抗だけでなく、踏み台にしてゆく。
母は、大した人間ではないと見なされ、なめられ、時にはバカにされ、捨てせりふを吐かれるようになる。
そうして、母を捨て去り社会へと飛び立ってゆく。
ここでも母は喪失体験をする。
ある種、子どもに捨てられるのである。
ここで母を捨てるためには父の機能が必要となる。(これについては別途記述する予定)
何度でも女性は母は失いつづける。
乱暴な物言いかもしれないが、穴が男性よりも一つ多いがために女性は喪失することを常とする。
それゆえに、アンコール(もっともっと)が止まらないと言えるだろう。

お問い合わせは シニフィアン研究所 http://signifiant-lab.com/
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